【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】12

2017年10月17日 18:13

【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
タツタ恵子 著
第1章 こちら救命救急センター
救急医になった理由②

県立青森高校に入学した明秀は大学進学については漠然としており、のんきにかまえていたようなところがあった。ただ、教科では生物が得意で成績は抜群によかった。本人も気づかないところで、医学への道の道標が立っていたのかもしれない。ただ、明秀は例のごとく、周りにも影響されやすいので、誰かが北海道大学や東北大学を志望するといえば、「なんだか、よさそうだなあ」と思うのだが、なぜか東京の大学に進みたいとは思わなかった。
「それが青森の人間のさがなんでしょうかね。東京は陸つづきなのに外国みたいな感じだった」と当時を振り返る。
あるとき同級生と会話を交わしているうちに、「そうか、医学部というのは日の当たるところで、医者になれば職業的にもみんなから尊敬され、生活も安定しているのだ」と明秀は思い込むのだが、入学できる人数は限られているし、自分は問題外だとも思った。ところが、自分より成績の悪い人でも医学部を志望していることがわかり、「医学部もいいのかな。受けてみようか」などと考えるようになった。どうやら、明秀が高校の成績で受験する大学を選んだという
のが事実のようである。
私がこれまで会った何人かの医師も学校の成績で医学部を選んだのを知っていたので、さらに認識を強くした。子どものころから医者にあこがれ医者をめざしてきたという人のほうが少ないのかもしれない。学校の成績だけで、職業を選ぶことに矛盾を感じたりするのだが、実際に医者は並々ならぬ能力が要求されるため、成績優秀であるということは重要だ。
さて、医学部も受けようと決めた明秀、早くも描く医者のイメージも固まっていた。それは都会の大学病院の医師ではなく、福島県の猪苗代で生まれ育った野口英世のようなイメージだった。野口英世といえば、子どものころに負った火傷がきっかけで医者になることを決意し、独学で医術国家試験に合格したが、日本では学歴のないことが妨げとなったため、南米に渡って黄熱病の病原菌を発見し、その研究に心血を注いだ人である。いわば、逆境をバネにして信念を貫いた偉い人というのが、私たちが子どもだったころに知った話で、「尊敬する人ベストテン」の上位にランクされるような人だった。長じてからは、彼に関する意外な面も明らかにされて、むしろ人間的な興味を抱かせる人物として映ったが、若い医学者たちへの支援を惜しまなかった研究者でもあった。明秀は、順風満帆の都会的でスマートな医師よりも、どちらかといえば、田舎育ちの逆境に強い野口英世に将来の自分を重ね合わせたのだろう。
いよいよ受験の時期が近づいてきた。
明秀は志望大学として、まず弘前大学医学部、そして将来的に水族館勤務というふわりとした夢も捨てきれずその布石としての東北大学生物学部と決める。ところが、ここで自治医科大学(以下、自治医大)というあまり耳にしたことのない大学を受ける同級生がいると知って情報を集めてみると、へき地に行く医師を養成する大学だという。これにはなんの抵抗もなかった。しかも、学費がタダなので(このシステムについては後述)、都道府県から各二、三人しか入学できないという狭き門。さらに青森高校では自分よりも成績のいい人間が受験するというので、「これはかなりむずかしいかもしれない」と思ったが、明秀は医者としてのイメージが自分に近いことから自治医大を受験することにした。
青森市で行われた自治医大の一次試験に合格、二次試験は本拠地の栃木県へ受けに行った。宿泊先の旅館には各都道府県からやつてきた賢そうな受験生ばかりがいるので、「こんな人たちが受ける自治医大っていうのはすごいなあ。ひょっとして、これも一流の大学なのかなあ」などと感心することしきりだつた。
自治医大と東北大学に見事合格した明秀は地元の弘前大学医学部も魅力的だったが、迷うことなく受験せず、東北大学へも断りの手紙を出して、自治医大に進学することに決めたのである。自治医大は各都道府県から二、三人しか入学できない。青森県出身の残りは、青森高校の同級生と八戸高校の一人だった。自治医大の六期生として入学したのである。

【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】11

2017年10月16日 18:09

【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
龍田恵子 著
第1章 こちら救命救急センター
救急医になった理由①

救急現場を取材してみて、私はあらためて救急医をはじめとするスタッフの救命に当たる懸命な姿に心打たれた。さらに、想像を絶するような症例の数々と非日常の出来事を聞かされ、正直いって驚嘆するばかりだった。
「今先生はなぜ、医師になろうと思ったのですか?」
しかも、二十四時間態勢で取り組む救急医に……。月並みな質問を向けてみると、「う―ん、あらためて聞かれるとむずかしい」などと前置きして、明秀は音を思い出しながら語り始めた。
今明秀は一九五八年(昭和三十三)十一月十三日、青森市の佃という海辺の町で生まれた。小学校のころは理科が好きで、特に水族館で海の生物たちを飽きることなく眺め、生き物や人のからだのメカニズムには人一倍興味を持った。命のかたちってなんだろうか、と子どもが考えるとき、例えば、カエルの心臓が動いていることと、つぼみだったアサガオが翌朝に開花することは同じである。動いていることが「生きていること」であると認識できる。動かなくなってしまつたら「死んでしまうこと」であると認識する。それでは、なぜ、生きているのだろうか?なぜ、動くのだろうか?と疑間がわく。明秀は無意識のうちに「命のしくみ」を知っていくおもしろさにめざめた。また、小学校の低学年のときに野口英世の伝記を読んで、漠然とではあるが医者にあこがれたという。
そして、一九七三年に手塚治虫の『ブラック・ジャック』が登場した。これを読んだ人のほとんどが、無免許の天才医師、特異なアウトサイダー医師に魅かれ、救命のあり方に感動を覚えた。どんな重症の患者も手術して治してしまうブラック・ジャックは、少年少女だけでなく、大人たちの心もとらえた。当然、中学三年生だった明秀もブラック・ジャックにあこがれた。
「とにかくブラック・ジャックはかっこよかった。彼は誰もできないような手術をして患者の命を救う正義の味方。こんな医者がいたらいいなあとあこがれたのでしょうね」
『ブラック・ジャック』の一回一話完結のストーリーは、それぞれの人間が抱えもつ「命の重さ」をテーマとし、必ず微細な手術シーンが登場した。ブラック・ジャックはリッチマン、プアマンも、そして善人も悪人も助ける。孤立無援(ピノコという助手がいたが)の、クールにも見えるブラック・ジャックだが、自身が大きな傷を負ったからこそ、命の大切さを知る、血の通ったヒューマンな医師である。
ブラック・ジャックは初登場から三十年経ったいまも人びとの心をとらえて離さない。特に医学の道を歩もうとする若い人たちが理想とする医師の姿であるのか、『ブラック・ジャックによろしく』という人気コミックのテレビドラマ化もされた。それほど、手塚治虫の産物であるブラック・ジャックが人びとに及ぼした影響は大きい。どこにも属さず、何者にも縛られず、もちろん権威などとも無関係なブラック・ジャックの自由な精神は、日本の医療制度のあり方にも一石を投じたのではないだろうか。

【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】10

2017年10月15日 18:23

【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
龍田恵子
第1章 こちら救命救急センター
救命救急センターは社会の縮図⑩

このドラマチックな生命の誕生から、私たちはさまざまなことに気づかされるのではないだろうか。〈脳死を人の死〉という定義からすれば、まるで〈死者が出産した〉というイメージに陥りやすいが、日本では臓器移植が適切に行われる場合にかぎつて「脳死は人の死」ということを考えると、この女性は脳死状態にあったが、この時点では「人の死」とはいえないのではないだろうか。
母親の心臓が人工呼吸器であろうと、心臓は確実に動いており、胎児が生きているとあれば、まさにこの世に甦らせるのが救命なのだ。一方では、子どもが生まれてきても母親が死んで、この世にいないという状況を家族が憂慮することもあるだろう。しかし、たとえ脳死でも母親の心臓は鼓動し、胎内で長い時間をかけて温め育まれてきた命は、母の祈りとともにこの世に誕生するのが自然なのではないだろうか。
「脳死判定といっても、無呼吸を確認する検査は、患者に対して危険を伴うことがあるので、移植事例のときにしか行いません。それ以外の脳死検査は、日常診療で行われています。たとえば医療の限界を超えて、心臓死が間近に迫っている重篤な病気やけがのときなどです。脳死が判定できれば、心臓死を予想することができます。心臓死が予想できれば、ポイント・オブ・ノー・リターンと考え、これまで全力投球で行ってきた救命集中治療のためのおびただしい点滴や薬剤、各種モニターの管を家族の同意を得てからできるだけ整理して、見た目にも安らかに天国へ行くような外観の身支度をしてあげることがあります。脳死判定から心臓死が予想できても、ポイント・オブ・ノー・リターンでなければ集中治療は続けられます。たとえば、復活の奇跡を信じる子どもの場合や、母親の体に胎児が存在するときです。母親の心臓死は予想できても、胎児はポイント・オブ・ノー・リターンであるはずがありません」
五十年前には脳死という言葉はなかった。人工呼吸器という蘇生機器の発達により、脳の機能が停止しても心臓が動いていて、血液が循環していれば各臓器は生き続けるのだ。この医学的な脳死をめぐり、日本では臓器移植をはじめ、まだまだ解決できない矛盾が横たわっている。高度先進医療が進めば進むほど、医療の倫理が問われていくようである。
救命救急センターには、実にさまざまな重症の患者が運ばれてくる。助からないかもしれない、助かっても意識は戻らないかもしれない……瞬時、そのようなことが救急医たちの脳裏をかすめる。しかし、それより何より救急現場では「命を救え!」とテキパキと処置に当たるのだ。明秀は言う。
「どんな人もたやすく命を落としてはならない。いまにも死にそうな患者さんを助けることが私たちの使命です。助けたい一心で救命に当たります。それで、命をつなぐことができたときには、達成感がわいてきます。しかし、患者さんが意識を取り戻したとき、助かってょかったという人もいれば、自分がベッドの上で身動きがとれないほどの重症であることを知って、なんで助けたのだと訴える人もいます。助かった命とどう向き合っていくかは、やはりその患者さん自身の問題なのかもしれませんが、いまだに私の中でも解答は出てこないのです」
医師が患者の命と向き合うとき、その背景にあるものまでが浮かび上がってくる。患者と家族との関係、職場の人間関係、社会の矛盾などいろいろだ。患者と医師たちが織りなす救急現場はまさに社会の縮図であり、人の命の重さは、人生まるごとを抱えた重さなのである。

次回は
第2章です。

【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】9

2017年10月14日 18:21

【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
龍田恵子
第1章 こちら救命救急センター
救命救急センターは社会の縮図⑨

寒い日が続いていた二月の深夜、一週間後に出産を控えた女性(三十一歳)が就寝中に頭痛と嘔吐を覚え、夫が救急車を要請した。三分後、救急車が現場に到着したが、救急車到着時はすでに昏睡状態で、痛み刺激に対してわずかに手を動かす程度であった。血圧は高く、心拍数は五四と遅くなっていた。眼の瞳孔の大きさは左右とも七ミリと大きく開き、光に対する反射は消失していた。すなわち脳ヘルニア状態であった。救急隊は脳卒中と考え、酸素を投与して、下顎を持ち上げることで気道を開通させる処置をしながら、救急車で救命救急センターヘ向かった。しかし、搬送途中で弱かった患者の呼吸は停止してしまった。救急隊は人工呼吸用のバッグを用いて、補助呼吸を開始した。約一分から五分の呼吸停止があったと予想された。
女性がセンターに搬入されたときにはすでに脳出血のため脳死に近い状態にあり、呼吸は停止したままでゆるやかな経過で心臓が停止するものと予想することができた。脳出血の原因は不明で血管造影をすればはつきりするのかもしれなかったが、母親の病状の改善は望めずさらに胎児におよぼす悪影響を考え、人工呼吸と昇圧剤による治療が行われた。
胎児というのは、低酸素状態に対する抵抗力があるので、たとえ脳死状態の母胎にいても心臓停止後の出産に耐える可能性があるものと考えられている。
すでに脳死状態の女性の胎内の子は自然分娩で出産させることを夫に告げて確認をとり、さらに異常時には再び相談することにした。
午前十一時、病院の倫理委員会に経緯を報告したと同時に、女性の子宮口が開大しはじめた。
初療室では今明秀はじめ、産婦人科医、看護師らが分娩台を取り囲み、自然分娩の無事を願いつつ、分娩介助に当たった。
午後一時十六分、案ずることなく、無事に女児が生まれ元気な産声をあげた。感動の一瞬だった。スタッフの目にも涙があふれていた。すぐに母親と対面させられたが、生まれたばかりの我が子をもはや認知することができない。また、この世に誕生した子どもにとっても、母親の不在はとても悲しいことだと思う。しかし、十力月という時間をかけて胎内の小さな命を守り育てた母の愛情とぬくもりは我が子に伝わったはずだ。母の愛情を感じながら生きようとし、この世界に飛び出してきたのだった。母親の心臓が動いている間、女児は母親の乳房に口をくっつけて、初乳を吸った。脳死であっても、乳は溢れるほど出ていた。まるで残された数日で、母親の愛情の全てを乳にして子どもに与えようしているように明秀には思えた。三日後、母親の心臓は停止した。三十一年の短い人生におけるおそらく最大にして最後の役目を終えて旅立ったのである。親族全員が、もちろん子どもも母親の肌に触れながら彼女を天国へ見送った。明秀は不思議と悲しさは感じなかった。

徳田安春先生・今明秀先生が薦める診察3極意!

2017年10月13日 20:01

連載中ですが、お知らせです。
八戸救命の
伊沢朋美医師、
田中航医師、
伊藤慧医師、
今明秀で
翻訳した
救急超音波の本です。
売れています。

そこが知りたい! 一刀両断 - コピー

救急エコー 一刀両断!

監訳:今 明秀

救急現場で知りたいことは「この患者の腹痛の原因は何か?」よりは
「患者は大動脈瘤であるか否か」である。
本書読破後には腹部大動脈瘤、
心タンポナーデ、
外傷性腹腔内出血、
気胸のような命にかかわる特定の疾患をベッドサイドで迅速に診断できるようになる。
CTやエックス線撮影すれば気付くが、
身体所見だけでは見落としやすい、
肋骨骨折、
水腎症、
心不全、
小児上肢骨折を見抜く。
さらにいくつかの処置に対してエコーガイド下で行うことで手技の安全性を高めることもできる。
例えば中心静脈カニュレーション、
心嚢穿刺、
胸腔穿刺、
腹腔穿刺、
末梢神経ブロック、
腰椎穿刺、
恥骨上膀胱穿刺、
軟部組織異物除去術など。

スクラブのポケットに入るサイズに加えて
スマホで読める電子書籍付き。

3800円

劇的販売中です