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中越地震から10年 その15「尿路感染症」

2014年11月15日 18:13

めまいの老人は、以前からあるのがひどくなったという。
よーく話を聞いてあげた。
明日松戸市の息子さんが迎えに来るという。

住民は当番を決めて、自分の地区の夜間見回りをしている。
これも体調を壊す原因になっている。
やむをえない事なのか。
全村避難の隣の山古志村へは,盗賊が入ったという。

子供たちは元気に遊んでいる。
発熱のエリちゃん、ユキちゃん、友達のリコちゃん。
彼女らのお友達が天国へ一人昇った。
心のケアチームは、亡くなった人の家族のケア、両親のケアを行っている。
中越地震10

避難所では不眠症が増える。
お年寄りになると多くは普段から睡眠が浅い。
私の母親も不眠を時々訴える。
ましてやこの集団環境では眠れない。
心のケアチームは、丁寧にお話を聞いて、一人一人を大切に治療しようとしている。

人間とは違い小学校のウサギは被災者が与えた草を元気よく食べていた。

胃十二指腸潰瘍も悪化する。
ガスターとデパスを処方した。幸い血便はない。

ハリヤー大活躍。
中越地震41
中越地震42
中越地震40

(続く)

中越地震から10年 その14「尿路感染症」

2014年11月14日 18:11

風邪が多い。
23日夕方の震災で、この町の住民のほとんどは広場で野宿している。
建物には恐ろしくて近寄れない。
圧死者も出ている。
小学生もなくなっている。

2日くらいの野宿をみんな経験している。
その野宿で感染したのだろうか、昨日は受診者の半分が風邪であった。
症状はみんな同じで、数日前から出てきたのどの痛みである。
用意してきたロキソニンとPLがなくなりそうだ。
いやPLはなくなった。
国立国際医療センターの薬剤師から、中居さんが、必要分をもらっていたのだ。
尿閉の老人が受診した。
3回目である。
バルーンを入れざるを得ない。
八戸隊は持ってきていない。
国立国際医療センターチームへ患者をハリヤーで連れていった。
尿が大量に出た後で、大感謝された。
「ガツンという揺れが、ずーと続いたんです。
終わるかと思ってもまだまだ続くのです。
揺れの中を外へ何とか出ました。
軽トラックの荷台につかまりましたが,
しかし振り下ろされました。
このような経験は80年間ありません。」
震えながら話してくれた。
本日から中学校には千葉県の看護協会から、
訪問看護専門チームが派遣されていた。
彼女らにこの老人を引き継ぐことにした。
中越地震37

千葉県の看護チームは早速い働きをした。
バルンカテーテルを留置したまま、床に寝ると尿路感染が合併する。
役場に連絡を取り、老人ホームからベッドを借り受けた。
この広い体育館では,燦然と輝く1台のベッドだった。
中越地震35

奥様と一緒ににこやかに座っていた。
ベッドに腰掛けることで、奥様の膝の痛みも治ることだろう。
尿道カテーテル留置とベッド、とてもいいことをした気がする。
なんだかさわやかだ。
やけどは、下肢に多い。
地震は炊事時間帯に発生した。
味噌汁を足にかけた人が多い。
グラッと来たときには、テーブルの下に隠れたが、
その後ガスを消すために、再びテーブルの下を離れた。
ガスコンロまで行くと、すでに火は消えていた。
天然ガスのホームカットの安全装置が働いていたのだ。
残念ながら、そのときに、鍋がひっくり返って火傷したそうだ。
熱傷処置は持ち込んだ生食で洗浄した。
軟膏を当てて毎日処置することにした。
(続く)

中越地震から10年 その12「医師会長との出会い」

2014年11月13日 18:55

中越地震39

29日金曜日夕方6時30分からのミーティングにはぎりぎり間に合った。

ミーティングには地元開業医の内田先生もいらしていた。
実は、当初災害医療班とまったく連携がなかった。
私は本日午後、内田先生に面談を申し込み,腹を割った話をした。
「土日は、診療所の近くでわれわれが活動するゆえ、休養してください。
診療所の職員も休ませて下さい。」
診療所の看護師も被災者なのです、もちろん内田先生も。
内田先生は、群馬県から僻地医療を志してこの山奥の町に1年前に開業していた。
まだ日が浅いために役場職員との連携がうまくなく、誤解があったようだ。

ミーティングでは、内田先生から、
「体力の限界、日曜日は休みたい。
夜間と土日の診療を災害医療チームにお願いしたい」
と、挨拶があった。
感情のこもった挨拶だった。
挨拶中は時々私と視線が合った。
日中に会えてよかった。
ミーティングでは全員一致で内田先生の提案を受け入れることになった。

内田先生の川口診療所の真向かいには老人ホームぬくもり荘がある。
最初から入所しているかなりの数の老人と、
今回の地震で緊急収容した老人でごった返している。
ボランティアも随分いる。
しかし診察室に使えそうな部屋はなかった。
その隣には川口小学校がある。
その200m奥に八戸チームの拠点の川口中学校がある。
会議の結果、24時間体制で診療施設を川口小学校に設営することになった。
担当は八戸チームだ。
11月1日午後に後任として、国立生育医療センターに受け継ぐことも決定した。
国立生育医療センターは、小児救急日本一。
私はそこの小児外傷チームに、2年前に講義と実習を受け持ったことがある。
聡明な医者の集団だった。
そのときの生徒が1名救急医として本日夕方ここに到着した。

ミーティングの終わりころ、庭山医師会長が会場に到着した。
全国に先駆けて、研修医の地域医療の一ヶ月カリキュラムを作成し、
東京医療センターの研修医を引き受けてきた実績がある医師です。
また約40年前に起こった新潟地震のときに救急医療をやってのけた医師です。
今回の地震で、新潟県庁がうまく機能しない間に、
救護部門を、消防と、医師会で切り盛りしています。
日赤医療チームが柏崎に集合したのを、
変更させ,小千谷市に集結させたそうです。
私は車をお借りしたお礼を丁寧に述べた。
 
中越地震から10年 「医師会長との出会い」完

中越地震から10年 その11 「川口中学校診療室開設」

2014年11月12日 15:47

地元医師会長から電話が入った。
国立東京医療センター救命救急センター菊野先生からの紹介であった。
車が無くて不自由していることを伝えてくれて、
小出医師会長の庭山先生、副会長の上村先生から、
車の無償提供の話があった。
ありがたく頂戴することにした。
何とか宮武さんと連絡が取れた。
借りた車は。トヨタハリアー、3000cc。新車。

医師会長が、地元トヨタに頼んで、新車の試乗車を借りてくれたのだ。
レンタカーは湯沢以北はすべて品切れ状態。
報道関係が貸しきっている。
さすが地の利のある医師会長だ。
感謝。
中越地震38

診療は日暮れの5時までの予定であったが、
体育館で非難住民に用意されているコシヒカリ、ボンカレー、トン汁のいい香りがした。
避難所リーダーの岡村さんからぜひ食べていってくれという暖かいお言葉を頂き、
丁寧にお礼を言って、みんなで食べた。
お礼は言葉だけでなく、行動で表した。
そして診療時間を延長した。
「仕事帰り、片付け作業帰りの方にお知らせします。
6時過ぎまで診察します。
どうぞご利用下さい。」
驚いたことに、ぞろぞろと患者が来た。
熱傷の人も混じっている。
ミーティングは午後6時半からである。
間に合わない.中居薬剤師と看護市2名に後を託し、
私と宮武さんは新車ハリアーで会議場所の末広荘へ向かった。

すっかり日は暮れていた。
真っ暗だった。
電気はまだ来ていないのだ。
中越地震39

緊急復旧作業で,朝についていなかった信号機が、今は点滅していた。
中越地震18

中越地震20

中越地震19
中越地震30

中越地震31

道路わきには、朝より多い車が駐車していた。
寒さを避けるためにこの車の中で寝るのだろう。
車の中で起こるかもしれない,
下肢静脈血栓、肺塞栓、エコノミークラス症候群のことはまだ住民には伝わっていない。

なぜならテレビがつかないからだ。
テレビで注意を説明しても、ここには届かない。

ハリアーには緊急自動車登録がされていた。
医師会長のすばやい対応である。
町のいたるところでチェックされる検問はフリーだった。

中越地震から10年  「川口中学校診療室開設」完

中越地震から10年 その10 「川口中学校診療室開設」

2014年11月11日 18:46

子供のかぜは軽症だった。
ここでも、母親は早めの受診を心がけている。
ゆっくりしたスピードで進むこの診療室では、
軽症も大歓迎だ。
中越地震10

診療室は、体育館の片隅に、目隠しを置いて設営した。
裏には階段があり、ジュラルミンケースを並べられる。
日陰は寒いが、太陽が差し込む窓越しは日中は暖かい。
いい場所を提供してもらった。

救援物資から石油ストーブを二つ借りた。
コロナのストーブの安全装置は震度2の余震で作動した。
昨夜の末広荘のストーブは,安全装置が働かなかった。
これは村役場の物だった。
この地震では、火事が少ない。
北国のストーブはきちんと整備されているので、
安全装置がはたらくからでしょうか。
ガスは天然ガスが多いのだそうだ。
中学校の社会で習ったことがある。
「新潟沖と秋田沖の天然ガス・・・・」
天然ガスの配管には、ホームカットという装置がついていて、
地震でガスの配給が止まる。
炊事時間だったが火事は起きなかった。
各家庭のガスメーターは供給停止を告げる黄色いランプが点滅状態である。
阪神地域とは、人口密度だけではなく、このようなところも違いがあった。

事務の宮武さんは、保健所の本間さんに頼んで小出町へ出かけている。
食料は自給自足、自己調達にでかけるにも車はない。
よって本間さんが毎日、保健所へ出向くときについでに車に乗せてもらい、
買出しすることになった。
「何かあったら携帯でよびだしてね。」宮武さんが出発した。
だが、だれも彼の番号を控えていないことに気がついた。
病院の津取場さんへ電話して聞きだした。
しかし通じない。おかしい。
なにかおこったのか?後でわかったのだが、
携帯電話のバッテリー節約のために、電源を切っていたという。
危機管理ができている。
反省としては、定時交信を決めておけばよかった。
(続く)



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