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第1章 こちら救命救急センター 救急現場、密着ドキュメント!①

2017年07月07日 18:22

【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第1章 こちら救命救急センター
救急現場、密着ドキュメント!①

午後五時すぎ、今明秀の携帯電話が鳴った。
「はい、今です。三歳ぐらいの女の子、首に絞められた跡、呼吸はあるけど、意識はない。わかりました」
救急隊からの連絡を受けた明秀は患者の症状を確認して電話を切った。 一瞬、私の脳裏に虐待? の二文字が浮かんだ。明秀の表情も変化したように見えたが、「よし、行こう」と立ち上がった。
「虐待かな。ここのところ、多いなあ」
エレベーターに乗り込むと、明秀は独り言のようにつぶやいた。近年、加速度的に増加する子どもたちのいたましい虐待死。やりきれない思いがわいてくる。
ここ川口市立医療センター一階の救命救急センター処置室では、すでに四人の医師(うち二人は応援に来ていた日本医科大学付属病院高度救命救急センターの小野寺謙吾医師と自治医科大学附属大宮医療センターの中圭介医師)と三人の看護師が搬送されてくる患者の受け入れ準備に追われていた。私は借りた白衣を着て、邪魔にならないよう隅のほうに立ち、そこから観察することにした。
午後五時二十分、担架に乗った小さな女の子が到着した。救急隊員の現場状況の報告によると、母親はすでに首を吊って息絶えており、そのそばにはぐつたりした小さな女の子の姿があり、意識はなかったが呼吸はしていたという。
女の子はストレッチヤーに移され、首に頸椎カラーがまかれる。三九・三度という高熱のため冷却マットが敷かれ、体温モニターが設置された。
母親に首を絞められた子どもの場合、日常的に虐待されているケースもあるので、その跡がないか調べる。首には索条痕(絞められた跡)が認められたが、虐待と見られるような形跡は身体のどこにもないことを明秀は確認した。
上肢に輸液ラインの確保ができず、骨髄内輸液を急速導入。骨髄内輸液は、明らかなショックにあり、上・下肢に静脈路を確保することができないときに、すねの膝に近い部位の骨の髄に太い針をねじりこんで、ここから点滴を開始する。骨髄は血流が豊富なので静脈の中に入れたのと同じ効果が得られるのだ。
「女の子の母親はうつ状態にあつて、病院にも通っていたそうです」と救急隊員の一人が報告すると、「それはあとで聞きます」と明秀。

首を絞められると、気道閉塞となり、頸部血管閉塞(頸動静脈)、頭顔部蒼白、うっ血状態、神経圧迫されて死に至るが、そうでなくても、酸素も脳に送り込まれなくなるため、脳に障害が残り、植物状態に陥ることもある。
娘の細い首を絞めた母親は何を思ったのだろう。ためらいがあったはずだ。そして、首を絞められた三歳の子どもの目に母の顔はどう映ったのだろう。その子どもがいま意識を取り戻せず重篤な状態にあるが、幸運にも意識回復したとき、子どもの記憶には自分の首を絞めた母親の残像だけがあるとしたら、心の傷になりはしないだろうか。母子無理心中の悲劇である。
私は目の前の現実に動揺していた。女の子の小さな素足が痙攣のためかぴくんぴくんと動くので、かわいそうで泣きそうになったが、ぐっとこらえて直視した。スタッフたちが無駄のない動きで、きびきびと処置に当たっている。
次回に続きます…

書籍の連載

2017年06月04日 11:48

http://qqka-senmoni.com/voice/books-rensai-list
書籍の連載好調です。
「プリベンタブルデス」

プリベンタブルデス ある救急医の挑戦

2017年05月14日 21:10

救急現場、密着ドキュメント!
① 【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
のインターネット連載が始まりました。

book-pd01-01-330x487@2x[1]
http://qqka-senmoni.com/3481

神戸岩田健太郎教授

2017年04月06日 16:03

一刀両断 - コピー

神戸大学
岩田健太郎教授のブログから転送です。
救急エコー一刀両断の書評です。

結論から申し上げる。
ぼくは本書が大好きだ。
かなり、シビレた。
 監訳者である今明秀先生から本書の書評を書くよう依頼されたときは、
正直、困惑した。
ぼくは超音波のプロではないし、
救急のプロでもない。
FASTなんてやったことがない。
ぼくが沖縄県立中部病院で研修していた時は、
まだこのコンセプトはなかったと思う。
その後はわずかな北京時代以外は外傷患者をケアする立場になく、
その診療所はFASTを行うようなセッティングではなかった。
とにかく、本書を論ずるにはあまりに場違いな立場ではないか。
ぼくはまるで、青山通りをひとりで歩いているかのような
アウェー感をこの依頼に感じたのである。

 しかし、本書を読んでぼくのアウェー感は霧散した。
本書は「ぼくのために」書かれた本だったのだ。
もちろん、著者たちには(訳者にすら)そのような意図は毛頭なかったと思うが、
ぼくはそのような温かい呼び声「calling」を感じたのである。
ぼくのアイドル、医師の理想像であるポール・ファーマーは講演のとき、
聞き手一人ひとりが「私だけのためにポールは話してくれている」と感じさせる稀代の人たらしだが、
ぼくは同じことを本書に感じたのだ。
 
本書は超音波を専門にする技師や医師のために書かれた本ではない。
ぼくのように超音波に疎い、
しかし「超音波使えたらいいよな」と思っている医療者のために書かれたのだ。
本書は「10回の実施程度で術者はその症状について十分な検査ができるようになる」
ことを目指した本なのである。
これは素晴らしいことではないか。
石を見つけたり、血栓を見つけたいとき、
自分でプローベを持って調べることができたら、
とてもハンディで便利ではないか。
確かに専門家に任せればずっと精緻で膨大な情報をもたらしてくれるであろうが、
夜間、遠隔地、あるいは被災地など精緻な情報の意義が相対的に目減りし、
手近で即時的な情報の価値がずっと高いときに、
このような痒いところに手がとどくような本がポケットに入っているのは素晴らしいことではないか。

被災地の診療現場全てに放射線科専門医や超音波検査技師を配置するなど、
ナンセンスなことなのだから。

 ぼくが特に本書で感動したのは、
「救急エコーの適応と限界」を明確に示したことにある。
超音波技術に極めて優れた日本で、
なぜオーストラリア人が著した本を訳さねばならないのか、
そこも当初ぼくが訝しく思った点である。
理解した。日本は技術に対する敬意が非常に高い国であるが、
反面、批判的吟味は苦手な国である。
超音波のテキストであれば、
「こういうことができる、あんなこともできる」な本になる可能性が高い(それも名人限定)。
あるいは、超音波が不要な場合にもこんなして使え、
あんなして使え、の本になるかもしれない。
しかし、正当な適応(と不適応)、
それに理性あるリミテーションがあるからこそ、
ぼくのような読者は安心して本書を活用できるのである。

 本書の射程は長い。
宇宙空間における超音波の活用が書かれている。
超音波検査の未来が述べられている。
そして、かっこよく、
こうしめくくられている
「聴診器も使えないような医師では、やはりUSも使えない」と。
本書が極めて臨床的なテキストであることが、
ご理解いただけただろうか。

八戸で開催する日本航空医療学会

2017年04月05日 18:28

劇的救命書道22017331

劇的救命書道パフォーマンスの新聞記事です。
2017.4.5 デーリー東北に載りました。



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