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東北関東大震災その14  ~福島への DMAT 出動 その5~

2011年03月29日 23:34

■トラブルを乗り越えて
最終的に、198名の患者に放射線サーベイとmedical check を行い、搬送を完遂した。
事前の情報では歩行可能な「緑タッグ」のはずだったが、実際は殆どが歩行困難だった。
このうち、あらかじめ決めておいた13,000cpm を超える線量は検出されなかった。

南相馬病院から自衛隊救急車で来た57名は、新潟消防学校に49名を搬出した。
残った8名は重症度が高いと判断し、防災ヘリ使用を予定したが悪天候に阻まれた。

medical check で状態が悪いと判断した患者1名を SCU へ収容し、安定化させた。
この患者と防災ヘリ利用を計画した患者、合計9名は計画していた時間に搬出できず、
行先を福島医大に変更し、一部は自衛隊の英断で自衛隊救急車を使わせて頂いた。


大町病院から、機動隊の護送バス5台と救急車1台で校庭に入ってきた計62名は、
民間バス3台と救急車1台に載せ換えて、まるごと前橋赤十字病院に搬出した。
この他に、ケアホームへも18名を搬出している。

大変な人数と車両を、何とか安全に搬出させることができた。
最後のミーティングを反省会と名付けたせいか、あれこれ良くなかったと指摘があった。
DSC00329.png

が、私はそう思わない。
200人近い患者と彼らの乗る車両を一日で掌握し、トリアージして重症患者を選別して安定化し、収容病院の変更にも対応し、タイトスケジュールの防災ヘリコプターも運用し、不足する救急車まで調達し、そして一人も迷子にしなかった。
こんな大規模で複雑な搬送支援作戦は前代未聞。完結できたことは、誇るに値する。
DSC00312.png

そして2日間の統括 DMAT という重積を全うできたことを、メンバーに感謝する。

個人線量計は、0.07mSV 。まだ大丈夫。
しかし気付くと、八戸隊の4名は昼食も夕食も摂っていなかった。
IMG_0870.png

川俣高校を撤収して DMAT 本部に報告すると、また翌日の活動についての会議。
最初に出たのが、相馬港から新潟へのヘリコプター搬送。かなり朝が早い。
相馬なら、そのまま撤収して八戸に帰るのに有利かも知れない。
他のチームがためらうような雰囲気のなか、千葉医師が立候補を申し出て即決。

明日は相馬、しかも早朝からの活動だ。少しでも英気を養っておこう。
そう思いながら宿に入り、いつの間にか眠っていた。





■相馬港へ
朝5時過ぎに起きて、緊急走行で相馬港へ7時半に到着。
ここまでは順調だったが、港に入ったとたん車内に溜息が溢れた。


まるでゴジラが散らかしたオモチャ箱のように、あらゆるものが壊れている。
そして人の気配はなく、ほとんど物音もしない。どうしても現実感が湧いてこない。


不思議な感覚で瓦礫の隙間をドクターカーで走りながら、巡視艇を探す。
地面や障害物を気にしながら見つけた巡視艇に近づくと、やっと人影が見えた。

(続く)


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