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東北関東大震災その12  ~福島への DMAT 出動 その3~

2011年03月27日 22:13

■サーベイ、トリアージ開始
3月19日の朝、指示通り7時半に福島県庁に集合した。
本日の活動拠点は川俣高校の校庭と決まっていた。メンバーは6隊、やはり統括は八戸。
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8時に県庁を出発して、6台が編隊を組んで進む。9時には川俣町に到着。

自衛官から本日の missionの責任者として、伊藤、松田一尉が出迎えてくれた。
福島県警の職員とも一緒に、立ち話で簡単に自己紹介を済ませ校庭に降りた。
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川俣高校校庭は広く、体育館がありトイレもあり、水も出る。
砂土であることを除けば便利が良い、ここを搬送作戦の設営場所と決めた。
砂土の校庭を後で測定したら、地面は5,000cpm。飯舘の20,000cpm よりはマシだ。
ただ飯舘ではアスファルト上の作業だったが、川俣は風で舞い上がる砂土。


■押し寄せる患者は200名
DMAT隊、自衛隊、県警のみなが集まったところで、mission を確認する。
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30km 圏内からバス、救急車、自衛隊救急車両、警察バスで川俣高校へ患者が来る。
本日はサーベイや簡易診察だけでなく、バスや救急車を乗り換えて搬出させるという。

もちろん、状態が悪かったり途中で体調を崩したりすれば搬送中止となることになる。
そのために、体育館内の床に Staging Care Unit として簡易ベッドを用意した。
そしてギリギリの状態で搬出させてくる病院に、整備された名簿を作る余力はない。

自衛隊には、搬入/搬出の車両と載せ換え場所の確保や誘導を依頼した。
県警には正門から体育館まで狭い一方通行を誘導してと頼んだが、姿がみえない。
DMAT と災害医療センターは、前日と同様にサーベイと簡易診察の班に分かれる。

高校の正門で車両と人数を確認、校庭内で所定の場所に車を誘導。
放射線サーベイ、医学的トリアージ、重傷者の引抜き、名簿作成を施す。
受け入れ病院と調整をしながら、新しい車両に載せ換え、正門で行先を確認、搬出。
さらに打ち合わせ途中で本部から防災ヘリ確保が伝えられ、重症者はヘリ搬送とした。

最初に到着したのは、患者が乗っていない空の救急車。その数、実に15台以上。
本部と緊消隊の連携で、載せ換え搬送のため送り込まれてきた。
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そのうち大型バスや自衛隊救急車に乗せられた患者が到着した。
しかし校庭はどこも砂土で、バスに乗り込むと放射線量が高い砂が混じってしまう。
そこで、強風のなか土の上にブルーシートを敷いて、汚染土の持込を避けることにした。
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サーベイ班が乗り込むと、多くは返事もできない高齢者で話せても歩行は困難だった。
事前の情報では「歩行可能」となっていたが、まったく話が違う。
やむを得ず、県警隊や自衛隊員の体力を頼み、おんぶやお姫様抱っこの移送となった。
ときには二人で抱えたり、布担架を使ったり。
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南相馬市立病院から付添ってくれた遠藤院長も一緒に作業を手伝って下さったが、
バス内は通路が狭く一度に一人しか動かせないため、作業は遅々として進まない。

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そうして校庭の上に何台の車両があるか数えられなくなった頃、ある問題が発生した。

(続く)


コメント

  1. やまっち | URL | -

    義父は八戸市民病院ERで救命され、先生初めスタッフの方々は福島へ走り献身的に救命の為活動され、私自身福島出身者で、弟は県警で、南相馬で震災直後から休み無く活動しております。八戸、福島と、何か縁を感じております。だから、ひとしおに皆様方の活動に感謝して、涙がでます。毎日ブログを拝見させて頂き、最前線で活動されている皆様を、心から応援しております。今まで以上に八戸ERスタッフのファンになりました。呉々もお身体を壊さないように祈っております。光は必ず差込みます。がんばれ、東北、がんばれ、日本。

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