東北関東大震災その10  ~福島への DMAT 出動 その1~

2011年03月25日 23:40

■DMAT 終了宣言
3月17日震災7日目、東北地方への DMAT 出動は終了宣言が出されていた。
今後は内科や精神科の診療が必要になるので、彼らにうまく引き継ぐことが重要だ。
DMAT の必要はなくなったが、医療班などの必要はむしろ高まっている。

日本医師会から、津波で亡くなったご遺体の検案に協力できる医師の募集が来た。
八戸救命センターから安部医師が早速応募した。震災には様々な医師の協力が必要だ。


■出動の迷い
震災7日目の夜は遅い帰宅だった。
院内では圏外の携帯電話に、厚労省医政局 DMAT事務局からメールが着信していた。

件名: DMAT 待機要請について
福島県からDMAT派遣要請がありました。つきましては派遣に応じることの出来るDMATはEMISに待機登録をお願いいたします。
福島第一原発事故のために20~30km 圏の医療継続が困難になり、多数の患者の生命が危機的状況になりました。これを受け福島県からDMATの派遣要請が出されました。当初の地震とは別に新たな災害が発生したものと解釈しています。域内の患者を広域医療搬送することを主目的にDMATの派遣を要請するものです。なお活動域は30km圏外を想定しています。
厚生労働省医政局DMAT事務局

2011-0325IMG_0882.png


短い文章の中に緊張が感じられた。

しばらく考えた。
私が出動を誘ったら、部下は断れないのではないか。

しかし、出動すると決めた。
23時から DMAT 隊員へ電話したが、繋がらなかったりで色よい返答は得られなかった。
病院で当直中の明石医師にも電話を掛けた。
「翌朝の出動を考えて、放射線防御と DMAT、両方の装備を用意してくれ。
 自分を含めて3~4名で出動する予定。それまで、君も出動できるか考えてほしい」

午前1時には院長に電話した。
「非常に緊急性ある、重要な DMAT 出動です。
放射線問題のため、国内のどのチームも躊躇しています。
午前1時の段階で目標20チームの半分も満たせていません。
出動の許可を下さい」
「必要性は分かるが危険すぎる。危ない場所へは出せない。他に希望者はいるのか?」
「今のところ、私だけです。朝になって連絡がつけば、もう少しいるかも知れません。」
「メンバーが集まったら、出動してよろしい。安全には十分配慮してくれ。」

参集条件は翌朝正午に福島県庁集合だ。
妻、娘、息子に、福島原発30km へ近づく可能性があると告げた。
「お父さん気をつけて。がんばってね」と娘。
私はいつもより早い朝7時に出勤した。


■福島出動決定
ER で患者を診ていた明石医師、「自分は出動できます。東京の両親にも連絡しました」
千葉医師からも、「留守電を聞きました、出動できます。両親と婚約者にも伝えました」
これで3名、最低限の体制はできた。
看護師の緊急出動は、勤務シフトに影響がない者で、かつ希望者に限る。
ER の巻師長が推薦してくれた西川看護師に、改めて希望を確認した。「行きます」

4名が揃った。
私は青森県庁に電話した。「福島へ、ドクターカーで DMAT 出動します」
放射線個人線量計、放射線サーベイメーター、防御服タイベックススーツ、ゴム手袋。
これに DMAT基本装備、それに寝袋と食糧。さらに現地で不足している酸素ボンベ2本。
ドクターカー2号は、前日の帰院からわずか17時間で再び南東北に旅立つことになった。
2011-0325_DSC00233.png


■いざ出動
3月18日午前9時、私が運転するドクターカー2号は緊急走行で病院を出発した。
高速道路は緊急自動車のみ通行可で、八戸インターチェンジは警察が検問していた。
サイレントと赤灯をオンにしたまま通過する。

東北自動車道の上り線は空いていた。
八戸ナンバーのタンクローリーが編隊を組んで南下している。
八戸港に入港した石油タンカーから、ガソリンや重油を南東北に配達するのだろうか。
それとも、地元八戸のために関東やさらに遠方へ油を受取りに向かうところか。



13時ちょうど、八戸 DMAT 隊は1時間遅れで福島県庁に到着した。

(続く)


コメント

  1. 八戸ドクターカー1 | URL | hChi9nWY

    帰院してまた福島から出動要請が来て危険な場所に出動してご苦労様です大変だと思いますがER、ヘリ番の方も頑張って下さい八戸救命

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