中越地震から10年その4「ヘリコプターで出動」

2014年11月04日 18:05

2004年10月28日。木曜日。午前7時。新潟へ出発する朝。
しまった、寝過ごした。
昨夜は当直で、午前1時の急性アルコール中毒に手惑い、
3時頃に当直室でようやく仮眠。
朝に患者が来なかった。
目覚まし時計の音はまったく聞こえなかった。
飛び起きて、ICUを見に行く。
そして
7時30分に自宅へ一旦帰る。
いつもならそのまま、仕事。
きょうは、新潟行きの準備がある。
シャワーを浴びる。
これから、数日は風呂に入れない。
荷物を詰めて、とんぼ返りで、病院へ戻った。
事務担当出動予定の宮武さんと玄関ですれちがった。
彼はこれから自宅で準備するという。
2階の管理課事務室へ行くと、
芝管理課長が優しい目でこちらを見てくれた。
「新潟県川口町へ海上自衛隊の救難ヘリコプターで移動するてはずを整えている」
だと。
そうか、自衛隊ヘリか。

結局朝ごはんを食べられず、排便もできずに、
出発の時間が迫った。
ERでは、派遣スタッフの、前田、神田、中居、宮武が準備万端で控えていた。
見送りの院長、事務局長、芝課長、次長、看護局長が待っていた。
出発式を救命救急センター前で開くのだという。
院長から、
「自分たちの安全と健康も大切にするように」との訓示を頂戴した。

病院隣のヘリポートには、自衛隊の大型ヘリコプターがすでに着陸していた。
このころ、海上自衛隊の八戸基地に救難ヘリコプターが常駐していた。
いまは、引き払い下北半島の大湊基地に引っ越ししている。
八戸基地には救難ヘリコプターはない。
青森県の防災ヘリ「白神」も大きいが、自衛隊救難ヘリはさらに大きい。
車輪の大きさが違う。機内に案内され、
エックスがたのシートベルトを締め、ヘッドホーンを耳に当てた。
中越地震1

離陸すると、地上の友人が小さくなった。
見送りの妻の顔も見えた。
(続く)


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