中越地震から10年 「新潟地震出発前夜」その2

2014年11月02日 18:29

10月27日水曜。病院臨時管理会議で出動が決定され午前新潟県庁に、
医療ボランティアを電話で申し込んだ。
我々はすぐに出発できるはずだと思っていた。
新潟県庁の話では
「被害に遭っている各市町村とのマッチングをするので、
夕方まで待ってほしい」と言われた。
夕方、新潟県庁に再び電話すると、
「ボランティア団体が80を超え、マッチングには日数がかる。待ってほしい。」
「待てない町もあるのではないですか」「
「県庁ではうまく末端まで把握できないのです。」
「それでは市町村の役場の連絡先をfaxしますから、
もし出動が決まったら、必ず県庁にお知らせください」
夜届いたfaxには市町村名と、避難人口、電話番号が書いてあった。

しかし、はじめて聞く地名も多く、
どこが北で、どこに鉄道があって、
どこが高速道路でつながっているかさっぱりわからなかった。
いくつかの町に電話した。

これから集団生活をしている避難所の被災者の健康管理が必要なので、
是非応援よろしくお願いしますという町もあった。
すでに日赤が多数入っているので、
応援不要の町もあった。
川口町へ電話すると、町役場健康課から,現場の須田保健婦さんにまわされた。
彼女が言うには、「医師団は入っている。
東京から2つ、仙台から1つ。しかし助けていただければうれしい」
健康課課長は「町としてボランティアできていただけるのならお願いしたい」
とおっしゃった。

まだ、DMAT制度がなかった時代の話しだ。
役場が単独で医療チームを要請した時に、経費はどうするか、
事故時の補償はそうするかなど、
未熟だった時代だ。

川口町への電話を先着隊の国立東京医療センターの医師に代わってもらった。
「自己完結型チームで来て頂けるのなら、
ひとつの集落を任せたい。すぐにでも来て頂きたい。
今先生が来るのか」
「できるだけ行けるようにします」
東京医療センターの菊野先生とは面識がある。
実は、私は10月27日水曜日夜に実は病院の当直をしていた。
病院当直は、
患者数が多い、毎週月曜と水曜、隔週週末に行っていた。
ERへ来る患者を診ながら、
川口町への交通をどう選択するか悩んだ。
道路は上下線とも不通。新幹線は湯沢で行き止まり。さて困った。
新幹線で八戸から大宮まで,乗り換えて上越新幹線で越後湯沢まで。
川口町は、震源地に近く、後の発表で震度7という。
震度計計測では過去歴史上日本最大であった。
(続く)


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