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brave heart 海猿 その2

2014年10月05日 18:04

<電話>
木曜日午前8時。
聞き慣れた、モニターや人工呼吸器の乾燥した音の中に私は身を置いていた。
広いスペースに整然と並んだベッドの脇には、様々な装置が並べられている。
いつもと変わらない日常。

遠くに、いつも決して変わる事なく覇気のある声が聞こえる。
今センター長だ。
『洋上救急。了解しました。医師1~2名派遣できると思います』

遠くにいてもはっきりそう聞こえる程、良く通る声。
それに自然と吸い寄せられるように、頭より体が先に動き出していた。
『今先生、おはようございます。洋上救急ってどんな要請内容なんですか?』

しかし、我が上司は既に私の真意を射抜いていた。
『原先生、行きたいですかなら、着替えて準備しておいてください。』

一瞬言葉を失った。
20名近いメンバーの中、こんな簡単に私がこの重大任務への参加権を得ていいのだろうか。
何となく他の皆にうしろめたい気持ちを感じながら、しかし、すでに私の心は決まっていた。

もう一人は吉村医師と決まった。彼もまた、自ら強く志願したようだ。
いつもにも増して、爛々とした目をしている。

我が救命センターの魅力は、なんといっても個々の強烈な意欲にあるように思う。
もし時を同じくして別の遠隔地への要請があっても、皆、目を輝かせて我先に準備に取りかかるだろう。
そして、その抜けた穴は残った同僚が愚痴一つ言わず引き受けてくれる。
よく実感するが、私は同僚や上司に恵まれていると思う。

さて、その要請内容はこうだ。
現場は太平洋沖 1,100 km 。
漁船乗組員の20歳インドネシア人男性が急変。意識なし、呼吸有り。

これ以上の事は分からない。
あれこれ状況を想像しながら、資器材の準備に取りかかった。

その若さで脳卒中は考えにくいとしても、熱中症、薬物中毒、感染症、電解質異常、代謝異常、てんかん、頭部外傷…
対応を要する疾患は少なくない。
患者と接触したときには、すでに心肺停止状態かもしれない。

それに最悪の場合、本日中に陸に戻って来れる保証もない。
一晩は越せるくらいの資材を持って行かなければならない。
そんなことを考えながら、足早に準備を進めた。

薬もすべて、いつもより多めに準備する。
とくにアドレナリンは、箱ごと持って行くことにした。
髄膜炎等に対応できるようにと、抗菌薬も数種類持った。
勿論、治療開始前に検体が取れるように血液培養のボトルも。
バックボードはさすがに持って行けないが、頸椎カラーは積んでゆく事にした。

そして、自分たちの非常用食料も忘れてはいけない。
あめ玉、おにぎり、水分を購入してバッグに乱暴に詰め込んだ。
20100909_出動準備


バッグを持ってみると、ずっしり重い。
水分だけでも点滴5L、非常用飲料水4Lが入っている。
携帯用の超音波や持続静注用のシリンジポンプも入っている。
当然、重たいはずである。

もしかしたらしばらく食事も摂れないかと、出発前に弁当腹に流し込んだ。

大急ぎで身支度をしたつもりだが、ふと時計をみると既に午前10時。
あの電話から既に2時間経過している。

そうだ、万が一の事があるといけない。
私はそっとERの搬入口から外へ出て、携帯電話を手に取った。
出動のことを伝えると、妻も電話口で快く私を送り出してくれた。


間もなく、海上保安庁の2台の車がERの前に横付けされた。
1台には資器材を、もう1台に私と吉村が乗り込んだ。

普段は気にも留めない車のエンジン音が、
何か特別な儀式の始まりを告げる合図のように聞こえた。

日常の風景が徐々に遠ざかる。
そして、今まで踏み込んだ事のない非日常への扉が、ゆっくり開くのを感じた。

(続く)


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