益子教授退任 後編

2014年05月10日 18:25

言い換えるならば、
ドクターヘリは地域住民にとって「希望のヘリ」である。
「希望のヘリ」を「希望のヘリ」たらしめているのは、
ヘリコプターという機体そのものではなく、
時速200kmを超えるヘリの速度に負けないだけの
確かな技術と、
決断力と、
責任感を有する
ドクターヘリチームの存在であることを
忘れてはならない。

即ち、医師、看護師、パイロット、整備士、運航管理士の
個別能力が極限まで高められ、
これが受け入れ病院の診療能力と融合してはじめて、
劇的救命例が誕生するのである。

この力強い文章は、益子邦洋教授の論文の引用である。
この論文は八戸にたった一人で赴任した私の行動を変えた。
その当時、一人救急医で運営している
緊急絶命センターと揶揄される救命救急センターは
国内にたくさんあった。
私は八戸をそうは呼ばせないと決意した。
その日が来るまで、私は救急医を育てて準備した。
益子邦洋教授の力をお借りしてドクターヘリの実地訓練を繰り返した。

その日がやってきた。
赴任4年目の2009年3月25日
八戸市で青森県ドクターヘリを開始できた。
県の地理的中央に決まりかけた基地病院を、
当時の救急医療の充実の差で八戸市に持って来た。
開始から1年4か月で350件出動し、
救命83.3%。死亡49例の検討では予測外死亡は1例も存在しなかった。
24例が劇的救命と判定された。
このことより、
青森県ドクターヘリの医療の質は妥当なものと評価できる。
益子邦洋教授の力説する、
「希望のヘリ」であり、
「絶滅センター」ではない。

外傷外科医として、救急医として、航空医療専門医、災害医療専門医として、
多方面の先駆者で挑戦を続けたのが益子邦洋教授だった。
我が国を牽引してきた益子邦洋教授の退官に当たり、
私はこの日を節目と考える。
教えを頂いたわれわれが益子邦洋教授の、
その使命を引き継ぐ節目だ。

われわれは挑戦を継承する。
元警察庁長官と教授
元警察庁長官と益子教授です。
益子教授の退任式のスナップ写真です。
警察庁長官は益子教授と辺見教授が手術してくれなかったら
死んでいたと力説していました。


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