中越地震から10年 最終

2014年11月21日 18:38

あの激震中越地震から10年
あの日、92時間ぶりに
生き埋めから東京消防庁ハイパーレスキュー隊に救出された
雄太君の新聞記事。
あの時の幼児が今は12歳。
中越地震10年 (500x376)

将来は自衛官になりたいという。
私には、なぜ自衛官かわかる。
あの時、日本の自衛隊がどんなに心強かったか。
中越地震49

中越地震48

中越地震47
中越地震46

中越地震から10年
これで最終です。
21日間にわたり
おつきあいありがとうございました。
中越地震51
高校生の諸君
きみの将来は、
レスキュー隊、
救急隊、
医療の仕事、
自衛官、
それともパイロット?
中越地震52
10年前の空も晴れていた。

中越地震から10年 完

そして合掌

中越地震から10年 その20「魚沼病院へ転送」

2014年11月20日 18:50

役場裏の倉庫、国道沿いの倉庫、ぬくもり荘の倉庫に、
背の高さで、向こうが見えないくらいだ。
その中から医療に使えるものを仕分けする。
仕分けする職員が不足しているのでできないでいたのだ。
八戸隊は役場から一任されて、責任ある仕事を完遂することができた。
体温計を家族に一本ずつあげたい。
しかし救援物資の中には少なかった。
家庭医薬品の中には,風邪薬と胃薬が多かった。
シップ薬やうがい薬は入っていない。

今後役場職員への応援が必要です。
それも仕事を任せられるためには長期間とどまることが必要です。
またいざ八戸市が被害をこうむったときは、協定を結んでいる自治体へ、
市役所職員の応援を早期に頼むべきです。
そう思った。
このことは、後日八戸に帰った時に、八戸市役所に伝えた。
また、のちに起こった東日本大震災に教訓が生きた。

宮武さんが情報を持って来た。
「撤収の道のりは険しいようです.。
鉄道、一般道、高速道路とも不通です。
最初の目的地はバスが走っている六日町です。
そこまで車で移動し、車をトヨペット六日町へ返却し、
その後路線バスで移動です。
湯沢町まで行けば新幹線が通っています。
何時に新幹線駅につけるか予想つきません。
夕方になってしまえば宿泊することも考えます。
宿泊するとすれば荷物がたくさんあるので
駅直近のホテルや旅館に入ることになるでしょう。」

翌日、
チーム員の顔にも笑顔が見えていた。
救援活動成功の充実感と、自分自身の安全とあと少しで八戸だという安心感から。
高速道路から遠くに見える,冠雪でコントラストが際立っている
霊峰八海山を南に見て出発だ。

川口町の住民の健康とわれわれの帰路の安全を願って
八海山に向かい手を合わせた。

中越地震から10年 「魚沼病院へ転送」完

中越地震から10年 その19「魚沼病院へ転送」

2014年11月19日 18:48

朝になり、笑顔の患者さんは、私の手を握って喜んだ。
この避難所で危機的状態から、命を救うことができた。
平時では、尿路感染症はよくある病態だが、
この劣悪な環境では悪化する危険が十分ある。
82歳の老人にとって悪化は死につながる。

患者様の改善を確認し、予定通り、小千谷市の魚沼病院へ救急車で搬送した。
小千谷市の病院も被災地だ。
地元の病人だけで手一杯のはずなのに、川口町の患者を受け入れてくれる。
『はい、受け入れ可能です』透き通るような救急外来看護師さんの声だった。
役場前に待機していた救急車は,すぐに中学校へ到着した。
患者さんは避難所の住民に見送られ、魚沼病院へ出発した。

Good job!.
救急車の要請は、119ではなく、役場の保健課に電話する約束だ。
119だと小千谷市につながってしまう。

救急要請から6分で救急車が到着した。
6分は平時の全国平均だ。
ここまでこの町の救急体制は復旧した。

川口診療所の内田医師を訪ねてみた。
待合室には数人のけがの患者が待っていた。
看護職員は私服で対応していた。

内田先生は日曜日の休息がよかったのか、
ひげをそり、顔色もよく笑顔で答えてくれた。
いいことをした。

前田、今が午前診療をおこなっている間、
男性スタッフは、役場で救援物資の仕分けと輸送を受け持ちした。
心のこもった物資だが想像を絶する量が山済みされていた。
中越地震43
住民に圧倒的人気で、すぐになくなった青森りんご。
被災地のレトルト食品や、カップめん、缶コーヒーの生活の中で、
手軽に、贅沢を楽しめた。
本当に人気ありました。
中越地震46

(続く)

中越地震から10年 その18「魚沼病院へ転送」

2014年11月18日 18:45

2004年11月1日月曜。
この日より堀内町、小出町などが合併し魚沼市になるそうだ。
しかしこれらと接する川口町は何か理由か知らないが、単独で町を維持するそうだ。
平時では5700人の人口、老人率は27%であり、
宿場町として有名だそうだ。
地震により、老人病人などは町外の親戚知人の下に疎開した。
残る住民は毎日少しずつ減っている。
過疎の町はこの地震でさらに人口の減少を見るはずだ。
町を単独では維持することはできないのではないか。

朝、心不全の患者が末広荘へ運ばれた。
ドーパミンを開始し、酸素投与しながら、小千谷市の魚沼病院へ搬送した。
心電図12誘導は末広荘では取れない。
もちろん血液検査は不能だ。
血糖検査キットを持ち込めば少しは診療の幅が出たかもしれない。

朝のミーティング後から、
小学校、
中学校、
ぬくもり荘という老人施設の診療の申し送りをしながら診療した。
後任は国立栃木病院だ。
彼らは、本日正午から、明日正午まで当番で、
その後は、別の国立病院が受け持つ。
一病院が24時間を受け持ち、その後撤収する。
一人100mづつ走るリレーもいいが、住民のことを考えると、
一人400m走るリレーのほうが有効だ。
さらに長ければもっと良い。
今回,八戸チームは、5日間の継続医療を展開することができた。
中越地震34

そのため地域住民と役場職員の信頼を得ることができた。
リコちゃん、エリちゃん、マリちゃんとも自分の娘同様に仲良くなった。
継続医療、継続看護、継続保健、被災地では重要なキーワードだ。

昨日から、持続点滴を行ってきた発熱と尿閉の82歳男性は
解熱し食事も取れるようになった。
中居薬剤師が持ってきた抗生剤が効いたようだ。
避難所を受け持っている千葉県看護協会派遣の
訪問看護チームも徹夜で看護してくれた。
町役場から借りた、ベッドも役立った。
神田さんが作った箒の柄の点滴台も役立った。
中越地震13

中越地震11

(続く)
・・・・・・・・
劇的救命本が人気出ています。
みなさん読んでくれましたか。
http://www.kksanshusha.co.jp/topics/topics_drheli.html

中越地震から10年 その17「尿路感染症」

2014年11月17日 18:14

中越地震から10年の連載中です。

高血圧の薬を、紛失した人が多い。
あのめちゃくちゃな家の中から、薬を探すことは困難だ。
降圧剤を2日分処方して、かかりつけの病院宛に簡単な紹介状を書く。
役場と保健婦、保健所がその紹介状を持って、薬をもらいに行く。
2日後に薬は本人の下に届く。
料金は後払いだ。災害時のいい仕組みだ。医師会との連携がいい。

風邪で、PLを処方した患者様から感謝された。
「おかげさまで、昨夜はぐっすり眠れました。」坑ヒスタミン剤がよく効いたのだろう。
PLでこんなに感謝されることは平時ではない。

夜のミーティングを終えた後に,中学校へ戻り夜間診療を行なった。
尿閉の老人が悪化していた。
発熱があり夕食は取れなかったという。
尿路感染症だ。腎盂腎炎でなければいいが。
抗菌薬投与と生食500ml持続点滴を行った。
点滴棒は,箒の絵を使った。
中越地震44

夜間の点滴管理は千葉県看護協会から派遣されている看護師に依頼した。
明日入院施設を探すことにする。

本日は頭痛、腹痛、便秘、めまい,けが、熱傷などcommon diseaseが多かった。
緊急入院はなし。

役場のエコノミークラス症候群の広報と、
自衛隊によるテント増設で、
車内泊の住民はいなくなった。
中越地震12

中越地震15

しかし、田麦沢地区など奥地のほうでは半数が車内泊という。
中越地震14

役場はエコノミークラス症候群の危険を知らせるチラシをつくって
その予防を呼びかけている。
中越地震33

夕食は、宮武さんが調達したレトルト親子丼。
明日は、昼まで診療活動をした後に、撤収する予定だ。
この後に小学校へ移動し夜間診療を行なう。

中越地震から10年 「尿路感染症」 完

明日もまだまだ続きます。

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本日の、毎日新聞(2014年11月17日)の一面に「劇的救命」の本の広告出ています。
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