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劇的救命日記 第14話

2018年09月27日 18:31

青森ドクターヘリ 劇的救命日記」第14話が本掲載となっておりますのでご連絡致します。
=Doctor's Gate=
https://www.drsgate.com/company/c00042/kon_index.php
14話1

14話2

14話3

どうぞご覧下さい。




日本の中央

2018年09月26日 18:53

日本の中央
先日テレビに
「日本の中央はどこか」の番組が・・
たくさんの地名が出て、
ほとんどは、
長野県や山梨県等ですが、
その中にぽつりと北にある町が紹介されました。
日本中心

そう、八戸ドクターヘリが出動する東北町です。
・・・・・・・
鎌倉時代、源義経は、兄頼朝の追撃を逃れて、
岩手県から海路で八戸に到着します。
そして陸路で青森県を縦断し、
龍飛岬に至ります。

その途中で
七戸を超えたところで休憩します。
そこは現在の青森県東北町石文。
よくドクターヘリが出動する地域です。
なぜ、この町に義経が寄ったかです。
実は由緒ある町です。

その村にある「日本中央の碑」がすごいのです。
源義経は東北町の「日本中央の碑」に寄り、
これを彫った坂上田村麻呂を偲んで歌を詠みました。
「三熊野に つづく小山のふみ石を
          見るにつけても都恋しき」

坂上田村麻呂は初代征夷大将軍です。

「日本中央」と刻まれた石碑、
「つぼのいしぶみ」として数々の伝説と謎を呼んだ石碑が、
東北町にあったのです。

9世紀初頭、大和朝廷による蝦夷征討が北上し、
坂上田村麻呂征夷大将軍が青森県の奥地、
現在の東北町の「つぼ」の地に、
大きな石の石面に弓の矢で「日本中央」と彫り、
建立したと云います。
日本中央

その後、その石が「つぼのいしぶみ」として都に知れ渡り、
多くの歌人に詠まれました。

義経も文化人であったので、その存在を知っていたのでしょう。

「日本」は「日の本(ひのもと)」と読み、
当時、大和朝廷の支配に屈しなかった先住民の居住地を指す呼び名でした。
大和朝廷の支配地が北進するにつれ、
その地域も北へ北へと次第に狭まり、
「日の本(ひのもと)」の中心(中央)が「つぼ」になった。
とする説が妥当と考えられています。

「つぼのいしぶみ」=「日ノ本の中央」の由縁です。

その石碑は現在、
青森県東北町の「日本中央の碑保存館」に鎮座しています。
日本中央2


北海道地震 最終

2018年09月25日 18:34

ミッション3
透析患者を転院先に無事搬送を済ませた直後、
電気がまだ復旧していない地域にある病院の人工呼吸器患者を
札幌医科大学に搬送する指令がおりてきた。
カーナビを目的地に合わせ、早速出発した。
目的地に到着するとエレベーターが停止いていた。
バッグボードに載せて患者を2階から1階におろした。
人工呼吸器は本部で集団管理するために、
八戸の車両から降ろしていた。
現在、車両には搭載しておらず、
約40分間札幌医科大学病院に着くまでバッグバルブマスクにより用手換気をした。
札幌医科大学病院高度救命救急センターを通り、病棟まで無事送り届けることができた。

普段何気なくできている、人工呼吸器管理、透析もライフラインが途絶すると、医療支援が必要になることを真に当たりにした。

札幌のライフラインは徐々に復旧していった。

拠点本部に戻ってきたころに、
後から到着した他の東北DMAT隊も加わり、
EMISで支援が必要な病院をさらっている最中であった。

EMISスクリーニング後も緊急を要する活動は必要ないことが判明した。
他の活動拠点からも支援を要するところはなさどうである。

東北DMATの待機命令も解除された。
少しずつ、札幌の医療も復旧が進んでいるようである。

急性期DMAT支援のの八戸隊は撤収を決めた。

苫小牧港からフェリーでぐったりしながら帰路に就くことになった。

9/8 朝7:30 八戸港に到着。
無事、八戸市立市民病院に帰院。
物品整理を開始した。

北海道地震 完

北海道地震 その4

2018年09月24日 18:33

ミッション1
しばらく待機していると、
札幌市内の病院で電気が復旧していないため、
人工呼吸器を使用中の20名の患者を、
数隊で手分けして、札幌医科大学病院に搬送する指令を受けた。
早速、出動し目的地の病院に到着。
搬送元病院に到着すると、
「たった今電気が復旧し、転院搬送の必要性がなくなった」と言われた。
空振りに終わった。
いろいろなことが起こるのが災害である。

ミッション2
電気、水道がまだ復旧していない病院の維持透析の患者さんを、
透析可能な病院に転院搬送する指令要請が下った。
転院依頼の病院におもむき、
先発隊として派遣されていた北海道医療センターのDMATと打ち合わせする。
北海道医療センターは災害医療の専門病院。
毎年12月に、全国の国立病院機構から研修医を対象に、
外傷と災害の実技講習会を開催している。

2名同時に搬送してほしいと言う。
一人は通常の病院ストレッチャーに、
もう一人をストレッチャー横の椅子をベッドにし同時に2名を搬送した。
救急車には、このように2名同時に搬送する備えがある。
2つのBed(普通のストレッチャーと、応急ベッド)を備えるから
2B型救急車と言う。
(続く)

北海道地震 その3

2018年09月23日 18:31

14:00頃、正式に出動要請。患者搬送機能をもつ車両で参集せよ。
苫小牧から22:00フェリーに乗って北海道に入る計画となった。
早急に物品を準備し、病院搬送車に積み込んだ。

19:30 DMAT出動式が行われ、
野田頭救命センター所長が訓示をする。

4名は車両に乗り込み出陣した。
現地は水不足の情報があり、八戸で水を買い込んで乗船した。
2等船室には青森市民病院、むつ病院の隊員も乗り込んでいた。
明日予想される任務を考えつつ、英気を養い、早めの就寝となった。

9月7日午前 6:00 お盆並みに混んでいたフェリーは苫小牧に着岸した。
着岸する30分前には船内放送が入る。
1階の車両格納室へ移動する。
病院救急車に4名は乗りこんだ。
若干の睡眠不足の感覚は、これから始まる災害救出活動を考えた時に、
ふっとんだ。
フェリー出た車両は北海度の地面にタイヤを回して、順序よく走り出した。
空は曇天。
停電の影響により信号はすべてついていなかった。
普段LEDで明るい道路脇のコンビニも閉まっている。
北海道特有のセイコマートも暗い。

八戸港を出港した昨夜は、
DMAT参集病院は苫小牧市立病院だったが、
明け方には、参集病院が札幌医療圏活動拠点本部がおかれている、
札幌医科大学病院に変更になった。
幸運なことに、インターネットが通じる。
15年前の中越地震ではダウンしたインターネット。
時代の流れで、
日本も災害に強い頑丈なインターネット回線に改善された。

4名は札幌を目指した。
苫小牧インターでは、高速道に入ることができた。
幸運だ。
地震から約24時間経過していた。

北上。
札幌市街に入ると、主要な道路には信号がともっていた。
札幌医科大学到着、ミーティング中の災害対策本部にあいさつし、受付をすます。
(続く)