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仮面ライダーだよ、中高生の皆さん

2018年12月13日 18:43

移動緊急手術室の開発への挑戦

さらに、私は移動緊急手術室の開発にも挑戦しました。
病院の外で人工心臓を装着するための手術ができれば、
救える命はもっと増えます。
そこで、2012年から車内で手術ができるドクターカー「移動緊急手術室」の開発を始めました。
これは世界初の試みであったうえに、
当時の日本の医療制度上、「病院の外では手術をしてはいけない」という決まりがあったため、
非常に難しい挑戦でした。
しかし、移動緊急手術室の必要性を訴え続け、
2016年6月についに移動緊急手術室の実現に至ったのです。

移動緊急手術室を、
ドクターカーV3と呼んでいます。
救急要請が入ったらドクターカーに後続する形で現場へと向かいます。

ある日、川で溺れて、河口まで流されてしまった女性の救急要請が入りました。
ドクターカーが先に現場に到着し、
女性の救助にあたっている間に、
移動緊急手術室のセッティングを行います。
女性は心肺停止状態であり、
移動緊急手術室内ですぐさま人工心臓、人工肺を装着する手術を行いました。
病院に戻って1か月ほど治療したあと、
女性は後遺症なく歩いて自宅に帰りました。
移動緊急手術室がなければ、
性の命を救うことはできなかったかもしれません。

最後に

サンダーバードを知らない中高生へ

2018年12月12日 18:41

ドクターヘリとドクターカーの同時出動「サンダーバード作戦」

天候や時間帯によって、ドクターヘリとドクターカーを使い分けていますが、
天候については判断が難しい場合があります。

たとえば、日中、こちらの天候は良好であったとしても、
着地点である現場の天候が悪くなると予想される場合、
ドクターヘリーで現場に向かったとしても、
病院へ引き返すことができないことが考えられます。
このように判断に悩む場合には、
ドクターヘリで現場へ向かうと同時に、
ドクターカーも現場へ向かいます。
これを私たちは「サンダーバード作戦」と呼んでいます。

どちらかの出動が無駄になってしまう可能性もありますが、
それでも救えるべき命を救うことには代えられません。

ドクターカーについて。中高生へ

2018年12月10日 18:40

ドクターヘリが出動できない時間を補うために、ドクターカーを開始

しかし、ドクターヘリは、悪天候時や夜間など、
視界が十分に確保できない場合には飛行することができません。
しかし、夜間であっても、どんなに天候が悪くても、
救命救急を必要とする患者さんはいます。

そこで、私たちはロンドンにおける「ドクターカー」を見習いました。
ロンドンでは、ドクターヘリが飛ばない時間は、医師が乗ったドクターカーが現場に向かい、
車内で治療を開始します。
これを真似て、2010年にドクターカーを開始しました。
開始からおよそ8年経過し、
これまでの出動件数は9,000件以上にのぼります。

救急医になりたい中高生へ

2018年12月09日 18:38

「どんなに離れている場所に患者さんがいても命を救うために」ドクターヘリを始動

救急専門医は順調に増加していきましたが、
人数が増えただけでは病院の近くにいる患者さんは助けられても、
遠くにいる患者さんの命は救えません。

そこで、救命救急センターで育てた救急専門医のマンパワーで、
ドクターヘリを開始しました。

ある日、2歳の女の子がトラックにはねられたとのことで
当院にドクターヘリ要請が入りました。
現場は当院から50kmほど離れた場所でした。
ドクターヘリは時速200kmで飛行するため約15分で現場に到着し、
事故発生から約30分後には病院へ向けて出発することができました。
女の子は肝臓が破裂していて、
予測救命率は約30%でしたが、何とか救命することができました。
ドクターヘリの活躍が、「劇的救命」につながったのです。

フライトドクターを目指す中高生へ、

2018年12月08日 22:35

「一流の救命救急センターを作りたい」救命救急センターの立ち上げ

日本医科大学付属病院で6年間学んだあと、
45歳の頃に青森県に一流の救命救急センターを作るために八戸市立市民病院へ行きました。

当時、私以外に救命救急医はおらず、
たった1人で救命救急センターを立ち上げることになり、
4つの目標を掲げました。

救急専門医を育てる
5年でドクターヘリを開始させる
7年で東北一の救命センターにする
10年で日本トップの救命センターにする


このような目標を掲げて動き始めた約1年後、
東北地方が医師不足に陥り、私たちの病院も影響を受け医師数が大きく減少しました。

この状況を脱するために、
私は研修医教育責任者を兼務し、
研修医を育成するためにさまざまな工夫と努力をしました。
すると、3年後には研修医が1学年約20名も来るようになり、
1人だった救急専門医は20名ほどにまで増加したのです。